わたしのこと(紙バンドとの出会い)

かんたん シンプルな編み方で、かわいい紙バンド作品ができる♪ 村上秀美です。

わたしの昔からのことをよく知ってくださっている方も、最近になってわたしのことを知った、という方もいらっしゃると思います。

わたしの紙バンドとの出会いから今日までをお伝えしますね。

わたしは、とある市の市民病院で臨床検査技師として働いていました。

その頃は、結婚、出産を機に仕事を辞める女性が多くいました。

でもわたしの職場は、育休もない時代に子供を産んで仕事を続けているという先輩ばかりでした。

わたしが出産した時も「村上さん、いつ戻ってくるの?」と、当然やめないよね?という雰囲気でした。

それでもわたしは育休が取れたので、1年育休を取って復職しました。

我が家は、2世帯住宅で村上の父母と同居しているので、幸い、子供達の保育園の送り迎えは義父母にお願いができました。

とは言え、子育てしながらフルタイムで、当直ありの仕事は、とてもとても大変で、いろいろギリギリで、ずっと「仕事辞めたいな〜」と思いながら働いていました。

でも、もう辞めるきっかけがなかったんですよね。

そんな時に、夫の海外赴任が決まりました。

「もう、これを逃したら、定年まで働き続けなくちゃいけない。今しかない!」

と思い、仕事を辞めました。

夫の赴任先は、カナダ。

冬は、寒さと雪がすごくて大変でしたがそれも楽しく、夏はとても気持ちのいい毎日でした。

言葉など、不自由なことも多かったけど、暮らしやすくもう少し長くいたかったなぁ。

そして、何よりカナダで驚いたことが、駐在員の奥様たちの生活。

誰かのお家でお茶会があったり、みんなで習い事をしたり、週1でゴルフに行ったり、と

わたしの日本の生活とは真逆のゆったりした毎日でした。

働くこともできないし、ホームシックになってしまう人もいるので、あえて繋がりを持っていたのです。

「わたしが毎日ギリギリの状態であんなに必死になってたのに、世の中には、こんなに楽しく毎日をゆったりと過ごしている人達がいるんだ!」

わたしには、とても衝撃でした。

そんなとても楽しいカナダ生活を終え、帰国となりました。

ちなみに、トリリアムというのは、当時住んでいたオンタリオ州の州の花です。

この、カナダでの生活をきっかけにわたしの人生が変わったので、その後、屋号などに使うようになりました。

トリリアムの花
トリリアム(お写真お借りしました)

少しづつカナダでの友達たちも帰ってきたので、日本でも同じように集まるようになりました。

その中の友人の一人が、ある日

「今度、エコクラフト教えてもらうから、一緒にやる?」

と誘ってくれました。

わたしは、「エコクラフトってなに???」

という状態だったんですが、とりあえず参加してみました。

やったことがある人が、材料を準備してくれて

「この本見れば作れるから」

と言われて、各自作ってみる。

わからないところは、誰かが教えてくれる、という感じでした。

そんな感じだったのに、2時間ぐらいでちょっとしたかごが作れたんです。

作ることも楽しくて、形になったこともうれしくて、材料の入手先を聞いて、帰りに本屋さんへ寄って本を買って帰りました。

これがわたしと紙バンド(エコクラフト)との出会いです。

2005年ぐらいの話かな。

次へ続きます。

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